Museums in Chiba
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MUSEUMちば千葉県博物館協会研究紀要<第32号>
2001年3月
千葉県博物館協会発行
【特集】地域社会と博物館 ―博物館友の会―   <事例報告>
東葛の文化情報発信基地・流山市立博物館友の会
流山市立博物館友の会 山本鉱太郎(作家)
 関東地方の地図を開くと、千葉県北部の江戸川ぞいに、流山という人口15万ほどの町がある。面積わずかに35万平方キロという狭い町で、常磐線ぞいの松戸市や柏市の知名度にはとても及ばない。歴史に詳しい方なら新選組の近藤勇捕縛の地、江戸時代からの味醂の町といえばお分かり頂けようか。
 その豆粒のような小さな町が、いま千葉県きってのピリリと辛い文化情報発信基地として話題を集めている。その主役をつとめているのが第3回ふるさとづくり賞や、第1回人と自然にやさしい川づくり大賞建設大臣賞など多くの賞を受賞した流山市立博物館友の会である。
 この会が出来たのは、今から22年前の昭和53年秋で、この年、市制10周年を記念して市立流山資料館(のちに博物館)が誕生した。ある日、日本でも指おりの施設をもつ協栄年金ホームに居住しておられる作家の北野道彦さんが、わざわざわが家を訪れてこられ、熱っぽく説かれた。
「こんど市では“見る資料館から参加する資料館へ”というキャッチフレーズで資料館を開いた。ひとつそうした前向きの姿勢の博物館を、私たち民間で支援しようじゃありませんか」
 私は旅行作家として20数年間全国を歩き、今こそ地方文化をと、大分県の湯布院や愛知県の足助(あすけ)、長野県の妻篭、北海道の池田など、各地のふるさと運動に力を貸してきたので、北野さんの誘いはまさに渡りに舟であった。つまり、博物館活動を民間ベースで応援しながら、これを核にして熱いふるさと運動を起こそうというのである。お膝元から実践し、実を示していかないことには、日本各地で講演しシンポジュームに参加しても迫力が無いな、という意識もあって、北野さんの提言にもろ手をあげて賛成した。北野さんが70歳で、私が49歳のときであった。
 ふつう全国各地の博物館友の会というのはどこも官制で、その町の郷土史家や元校長先生、社会教育委員とか旧家の暇をもてあましているご主人を集めて形ばかりのものを作り、年に1、2回、うすい会報を出してお茶を濁しているところが多い。その点では、流山の友の会は全く自発的に作られたもので、博物館にその話を持ち込んで友の会を作りなさい、私たち応援するからという、願ってもない“しあわせ”のもとでスタートした。
 結成当初呼びかけたのは、知人や友人だけで、お寺の住職とか、小学校、高校の教師、出版社の編集長、大学教授たち約20人で、私の家に集まってどう運営していくか、けんけんがくがくの議論をした。
 そこで決めたことは3本の柱である。
@博物館の諸活動を側面から応援する。企画展や講演会はなるべく出席する。
A独自の研究を進め、それをまとめて後世に残す。
Bお互いの親睦を計り、みんなが会長意識を持ち、自由に発言し、よりよい人生を送っていくようにつとめる。
 その後、講演会、文学散歩、歴史散歩などのイベントを通じて市内の家庭の主婦や定年退職した男性たちや市会議員らも集まってきて会員は急増した。ふるさとを愛するには、まずふるさとの歴史を知らなければならない、ということで、いろいろ研究をし、行事を続けてきた。
・高瀬舟と江戸川の交通
・利根運河を作ったオランダ人のムルデルを徹底調査し、顕彰碑を建て、日蘭学会にその成果を発表
・流山や東葛地方の地名研究
・日光東往還や旧水戸街道、鮮魚街道、諏訪道、木下街道など県北の旧街道
・野仏や道祖神、道標などの金石文調査
・流山の老舗や職人たちの調査
・流山と新撰組の関係
・味醂や醤油の本格的醸造史
・小倉牧と野馬土手の研究
・江戸川を往来した外輪川蒸気通運丸の研究
・東葛地方のおびしゃ研究
・北総の平将門伝説調査
・俳人小林一茶と流山の関係
・東葛地方の伝説や民話の総まとめと民俗学的検討
 その他テーマは無数にあり、それらを20数年、地道にコツコツとこなしてきた。
 はじめはテーマを流山に限っていたが、もうこれからは流山という狭い区域にこだわるのは時代遅れと気づき、その研究範囲を130万人が住む東葛全域に拡げていった。平成3年のことである。
 今では近隣の野田市や柏市、松戸市、我孫子市など各地に33の支部があって、会員数は400を超え、役員は70何人もいる。流山市民だけでなく、大阪や横浜、市川、千葉、所沢、東京、土浦、大宮など全国各地に会員が散在している。なぜか。それは私たちの運動に参加しているとすごく楽しくしあわせな気分になれるからである。本来、歴史、民俗の研究というのは、すこぶるお堅い学問で、郷土史家や学者や作家らで一部のすき者だけがやる分野であったが、これを素人のペースまで下げ、ごく身近に親しめるものにしたのが成功の因であった。
 入会したら誰もが平等であり、古い肩書や高学歴は一切通用せず、いま、あなたは何をしているか、ということだけがつねに問われている。毎月何かイベントをやっているので親類より友の会の人と会う方が多く、今やサークル意識を越えて“運命共同体”の感じである。ただ単に博物館の支援にとどまらず、人間が生きるとはどういうことかという根源的なことをお互い問い続け、それを実証するため多くの行事を重ねて今日に至った。流山の旧住民は2万余、あとの13万は全国各地から流入してきた新住民であり、その多くは東京へ通っている。
 これらの人々はおおむねふるさと意識が稀薄であり、土地の歴史や風習もよくわからず旧住民との間は断絶状態になっている。なにか問題が起こっても事情がよくのみこめず、議論にも参加できず、まあいいや、という状態で、いわば町の出来事に無関心な人が多かった。急成長した首都圏の都市は、どこも大なり小なりその問題をかかえて苦悩しているが、これでは困るのである。
 縁あって住みいつた限り、第二のふるさとと心得て、住みよい楽しい町にするため問題意識をもって努力して欲しいし、わが妻、わが子が厳然として流山に腰を据えて暮らしている限り、夫とて無関心では困るのである。

◆会員の労作は「東葛流山研究」に
 研究調査した結果は、年に1回出版される「東葛流山研究」か年に3度出る24ページほどの「会報におどり」のいずれかに発表される。「東葛流山研究」は250ページ前後、ビニールコーティングしたB5の変形サイズの立派な本で、友の会会員はもとより、市の小、中、高校、図書館、公民館、県内の主な図書館などに無料配布され、実費で書店で求めることもできる。その制作費は約300万円で、それは一切会で負担している。原稿を書いた人、趣旨に賛同する会員から1人1万円拠出してもらい、あとは1人3千円の年会費と運動に理解を示す方々の広告費でまかなわれる。
 どこの会も、お金がないから本が出せないとよくこぼすが、お金以前に本を断固出そうという情熱があるかないかがまず問題で、出したいというものすごい意欲があれば、どこかにスポンサーがいるものだ。それもただの人真似をやるのではなく、人に感動を与えるユニークなものを情熱をもってなし遂げるということであり、支持者の期待を裏切らないということである。情熱不足を経費が無いこととすりかえては、文化活動は決して前進しないだろう。会費のほかに原稿を書いた人が1万円払うというシステムもちょっと珍しい。ふつうは執筆料を払うものである
 では、「東葛流山研究」の創刊号から19号までの主な特集テーマとしては・
第3号では「利根運河」(168ページ)、第4号では「オランダ技師ムルデル」(186ページ)、第5号では「流山の歴史四つの疑問」(160ページ)、第6号では「流山と太平洋戦争」(162ページ)、第7号では「流山と交通」(176ページ)水戸街道や諏訪道など。第9号「手賀沼」(304ページ)、第10号「江戸川」(264ページ)、第11号「利根川」(244ページ)、第12号では「江戸川と歴史と暮らし」(250ページ)、第13号では「東葛文化ユニーク人物事典」(230ページ)、第14号では「東葛の湖沼と河川」(268ページ)、第16号では「東葛観光歴史事典」(258ページ)、第17号では「東葛と文学」(140ページ)、第19号では「東葛文献百科事典」(250ページ)であった。
 編集していて、なかでも特に印象に残ったのは、第9号の「特集手賀沼」と第10号の「特集江戸川」と第11号の「特集利根川」の水3部作であった。
 「特集手賀沼」では、日本一汚いとされている手賀沼の歴史と現状を徹底調査して話題を呼んだ。かつては沼底から清水が豊かに湧き、飲めるほどの澄んだ水であったが、今や生活雑排水のたれ流しで日本一汚れた沼という悪評を受けている。真夏になると沼の表を植物性プランクトンのアオコが一面におおい、多くのフナやコイが酸欠で白い腹を見せている。そのことに私たちは目をつむるわけにはいかない。無関心でもいられない。私たちは大正時代「白樺派」の人たちが残していったすぐれた作品から、かつて手賀沼がどんなに美しい湖沼であったかをよく知っているからである。その遠い昔をとり戻すことはもう出来ないにしても、せめて日本一汚れているという汚名だけは、なんとしても返上したい気持ちから特集手賀沼に挑戦した。
 第11号では「特集利根川」を組んだ。柳田国男と民俗学のかかわり合いや江戸時代の名著赤松宗旦の『利根川図志』、洪水と戦ってきた利根川の農民の歴史などを取り上げた。ほかには、「賑わった利根の河岸物語」「布施弁天繁盛記」「大利根地名紀行」「利根の河童たち」「利根川べりの習俗と行事」「文学に現われた利根川」など多くのテーマの文がのっている。
 幸い水三部作は大好評で、建設省後援の第1回「人と自然にやさしい川づくり大賞」でみごとグランプリに選ばれ、建設大臣賞を受賞し、東京の東条会館で500余人の人々と喜びをわかちあった。
 しかし、文章を書くということは、実は容易な技ではない。流山のことを古老から聞き書きしようと、12年前に私が講師となって友の会に会員の文章講座「梧桐の会」を設け、毎月第2土曜日、江戸川台の北部公民館で午後1時半から5時まで勉強を続けた。いまも50名の会員たちが在籍し、ある人は柏や野田のタウン誌に連載し、ある人は千葉日報や地元新聞や生協新聞に連載ということでそれぞれの人たちが発表の場をもち、競い合っている。ようやく文章にも磨きがかかり、その人たちがいま「東葛流山研究」の大著を分担執筆し、また各人も単行本を出せるまでに筆力も向上してきた。
 流山市立博物館友の会会員の東葛地域をテーマとしての出版はこのところめざましい。『江戸川のほとりに生きる』『常磐線沿線の湧水』『オオタカの森』『醤油から世界を見る』『イラストのだ、せきやどものがたり』『利根川・手賀沼と湖北』『旧水戸街道繁盛記』上・下巻『房総の街道繁盛記』『新利根川図志』上・下巻『江戸川図志』等々。
 これからも多くの作品が友の会から生まれ続けるだろう。

◆12年間の文章修業の成果
 純粋の執筆活動を中心とする歴史研究だけでは、これだけ多くの会員は集まらないだろう。本来、歴史研究というのはまことに地味な仕事である。そこで私たちはこのこむずかしい学問に味の素をちょっとふりかけ、もっと親しみ易いものに料理して提供してみることにした。それがやさしい歴史散歩であり、古墳散歩であり、異色博物館めぐり、小京都・城下町散歩などである。
 幸い、私たちの会は東京に近いせいか多彩な講師陣にめぐまれ、旅行作家あり、出版社の編集長あり、博物館の学芸員やマンガ家、作曲家、カメラマンあり、国立大学の大学院の教授ありで、いわば東葛のシンクタンク。それぞれが交代で交通費だけで講師をつとめるのである。人口からいえば柏が32万、松戸が46万と断然多く多士済々のはずだが、どういう訳かこう多くなるとふしぎと群雄割拠して文化運動はまとまらないようで、活動はきわめて低調である。
 私たちはこの22年間、佐原や佐倉、足利、水戸、栃木、川越、益子、東京など関東地方の主な博物館や城下町はほとんど見てまわり、遠く木曾街道や犬山の明治村、リトルワールド、会津若松、遠野、野馬追いで有名な福島県の相馬、上州の達磨寺、伊豆、伊勢志摩などにも出かけた。都内の霊園めぐりや名園めぐり、民芸めぐり、神田、浅草、上野、深川、柴又などの下町散歩もたいへん好評であった。
 さらに、友の会には川柳講座、朗読講座というものもあり、それぞれ専門家について毎月1回学んでいる。また夏の納涼の夕べや泊まりがけの秋の文学散歩、自分史を語る集い、年末の爆笑忘年会、新年会などにも全力を上げて取り組んでいる。

◆オペラ「手賀沼讃歌」の上演
 私たちは“地球にやさしく”ということで自然の環境問題にも取り組んできた。日本一汚いといわれている手賀沼をどう蘇生させたらいいか、東京都民の水がめとなっている江戸川をどう浄化できるのか。座談会や写真展ぐらいではもはやどうしようもないという深刻な悩みの中で、オペラ公演を思いつき、ついに私の台本で友の会の作曲家仙道作三氏が作曲し、オペラ「手賀沼讃歌」を2度にわたって講演し、6千人の人々に深い感銘を与えることができた。
 出演者は二期会や藤原歌劇団からプリマ級の歌手を集め、合唱団は地元の人たち約400人、受付や照明、音響などの裏方は約200人。この感動ドラマは朝日新聞の「天声人語」やアサヒイブニングニュース、NHKテレビでも大きく取り上げられ、『虹をくわえてきた鳥たち』という立派な写真集にもなった。
 そのほか、地元をテーマにした芝居「青年たちの運河」「名人・関根金次郎の生涯」「山林鉄道」ミュージカル「こんぶくろのうなぎ姫」なども私たちの手で執筆公演し、好評を博した。
 こうして22年前に誕生した田舎の小さな一博物館の友の会が、いまやその看板の枠を超えてでっかいことをやっているんだ、という意識を会員たちは持ちはじめている。
 しかし、問題はこれからだろう。どう後継者を育てていくか、どうすれば若い人たちにも興味をもって参加してもらえ、ふるさとを愛してもらえるか、有識者だけの養老院的友の会では、なんとも寂しいかぎりである。


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