MUSEUMちば千葉県博物館協会研究紀要<第32号>
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2001年3月
千葉県博物館協会発行 |
| 【特集】地域社会と博物館 ―博物館友の会― <事例報告> |
| 芝山町立博物館友の会の仲間と10年 |
| 芝山町立芝山古墳・はにわ博物館 福間 元 |
博物館は、成田空港から南に6km、航空機の離発着の騒音直下になる芝山公園内の北端にある。昭和63年5月1日、千葉県企画部空港対策課の補助金を受けて、山武郡内では最初の公立の博物館として開館した。
翌年、空港の南に隣接した地に財団立の航空科学博物館が開館することによって、県内の草分け的な博物館である宗教法人立の芝山ミューゼアムと合わせて、駅のない人口8,700人の小さな町に目的の異なる3つの登録博物館が存在するという状況を生み出している。
職員は、役場総務課長で定年退職した嘱託の館長、2名の非常勤女子事務職員および1名の学芸員で、学芸員は、教育委員会事務局の文化財係も兼任している。
九十九里地域の古墳と埴輪について研究、保管、展示するという古墳時代の専門博物館を標榜する個性と、市町村立の博物館としては、東総地区で最初の登録博物館ということで、存在そのものが、地域文化を記録し、守り、育てる砦としての地域性をも持っている。
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| 地域博物館としての役割 |
地域博物館は、町の資料を保存展示する蔵としての役割以外に、町の歴史を記録する編さん所でもあり、町を紹介する窓としての観光案内所でもある。そして、生涯学習の為の中心施設の一つとして、町の学校でもある。
学校という「博物館は市民に開かれた自由大学である。この大学には入学試験もないし、卒業もない。市民が自由に入って楽しみ、学び、いろいろな人と交流の輪を広げることができる。いやになれば行かなければよいのである。」(千地万造「市民とともに学ぶ・大阪市立自然史博物館の場合」『博物館の楽しみ方』1994年 講談社 p.184)
予算も少なく、情報も入りにくく、広報手段も限られ、学芸員数が決定的に不足した小さな博物館でも、利用者は県立博物館や大きな博物館と同じような博物館、活動を期待して来館される。入館者にとっては県立、市町村立、個人博物館の区別はないのである。しかし、現状は、博物館・資料館を名乗っていても、博物館はさまざまな規模、さまざまな目的を持った、種々多様な施設で、学習指導要領のない、垣根のない学校であることはまだあまり理解されていない。
全国5,000館の大部分の小さな博物館・コンビニエンス化した博物館がこれらの期待に答え、生き残るには特化を図る(夷隅郷土資料館・渡辺氏)か入館者は少なくても地域に根ざした地域博物館に徹することになるであろう。
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| 博物館のコンセプト |
学生時代は、昼は小石川植物園に勤め、卒業後広島市で3つの博物館を立ち上げ、40歳代で早逝した先輩が常日頃から言っていた「博物館活動は21世紀を見通した知的レジャーの先取りである。」との言葉に従い、職を得たこの館を知的レジャーセンターたるべく、小さくともキラリと光る施設たらんと運営してきたつもりである。
開館当時は、町の公民館が土日休館だった為、休日には町民を中心として、博物館の施設、設備を利用して、館内でさまざまなサークルが活動していた。地域の教育力を高める生涯学習施設としての位置づけも付与し、活動のコンセプト、キャッチコピーを「見る博物館から利用する博物館へ」とした。
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| 友の会の設立と特徴 |
開館2年後、今まで借りていた埴輪が借りられなくなり、常設展示を総入れ替えすることとなった。そんな考えもしなかった危機的な状況のなかで、本当に公立館として自立する為に、博物館の今後のあり方を身近な人々と相談をする中で、新しい博物館活動を応援し、支える組織を創ろうということになった。
展示は県内の教育委員会や大学、個人の協力を得て、なんとかこぎつけたものの、博物館の展示以外の研究活動や普及活動を展開するにはあまりにも人的に弱体すぎた。そこで、今まで博物館を利用していた縄文土器づくりの会、陶芸クラブ、栗山川流域の行政職員を中心として活動していた栗山川流域文化研究会、町史編さん事業で協力を得ていた写真同好会などのサークルの人たちを中心に「芝山町立博物館友の会」を設立した訳である。
サークルの連合体的設立の経緯ではあるが、あくまでも個人加盟を原則とし、権威や肩書きとは無縁の組織として、博物館の活動を支えることを友の会の大きな目的として規約に明文化した。
小さな博物館ゆえに友の会の加入自体が、国立や大きな博物館、著名な博物館友の会のようにステータスとはなりえず、活動し、参加しなければ何のメリットもない組織であるが細々と10年が過ぎた。
現在、友の会の会員数は281名(平成12年11月30日現在)であり、そのうち芝山町内の会員は94名で、むしろ周辺の市町の方々が多い。また、会員の2割強、60数名が文化財関係者(県市町村の博物館、教育委員会、文化財センター、埋蔵文化財調査機関の勤務者)で、中心的に活動しているのも大きな特徴であろうか。
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| 友の会の活動 |
友の会活動の合言葉は、「楽しくなけば友の会じゃない。」「みんなが講師、みんなが生徒、みんなが事務局。」のもとに大きな博物館行事の際や11月の第2日曜日に行われる「はにわ祭り」にもボランティアに名を借りた労働力を提供してもらっている。友の会も任意団体とはいえ、社会的存在との認識のもとに、はにわ祭りではバザーを行い、その収益をユネスコや文化財保護振興財団に友の会として寄付もしている。
ゆくゆくは友の会が寄付団体にもなればよいのだが、現在は知恵と「わざ」と汗を提供してもらっている。
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友の会 考古学サークル
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私たちの友の会は、表装教室、縄文土器づくり、陶芸教室、切り絵、版画教室、工作教室等々の各種の講座も、もちろん友の会の会員が講師となって開催している。変わった行事としては、春には環境アセスを仕事としている友の会々員を講師に、芝山公園周辺の自然を観察し、その後、春の芽ぶきの野草を料理する「春を食べる会」、秋にはそば打ち名人の会員を先生に、みんなが手打ちそばをつくる「月見の会」、冬には持ち寄りのポットラックパーティーの「新年会」を恒例の行事としている。
今年度は、友の会の10年、ミレニアムということで、夏には富士山の登頂や秋には山形県村山市の「そば街道」の食べ歩きなど、博物館友の会の行事とは思えないような多くのオプション行事も行ってきた。
また、友の会の大きな成果は平成5年から20回に亘って実施した博物館行事「房総の古墳を歩く会」の実績を、友の会々員20名が編集委員となってガイドブック『房総の古墳を歩く』という150ページの古墳案内書にまとめたことだろう。2年間で2,534冊を売るベストセラーになり、今年夏にはホームページにも載せようと準備をしているところである。
12年度の秋の企画展は、友の会内サークル・考古学サークルが、富津市大坪貝塚の整理を行う中から、企画から展示までを分担し、「縄文時代の四季」というビジュアルな展示を行い、大坪貝塚の報告書も刊行の予定である。
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| 友の会が地域に果たす役割 |
学芸員同士の交流や学校との連携はさまざまなところで多くの人によって語られてきたが、入館者の代表としての博物館友の会との交流、連携については、今までは、ほとんど語られることがなかった。
というより、友の会は、教育普及の対象であり、狭義のボランティア要員としか見なされていないのが現状であったのかもしれない。しかし、バブル経済崩壊後からの入館者の減少や、生涯学習施設としての再認識、完全週5日制に伴う平成14年度からの学習指導要領の改定と総合学習の導入、および、博物館予算の削減など外圧により、博物館のあり方は大きな転換が求められている。
博物館は、公民館・図書館が市民・町民を主な対象としているのと違い、周辺地域以外の不特定多数の入館者を受け入れることも多い。だが、小さな地域博物館では、顔の見える特定多数の入館者を増やすことにもっと心がけたい。共に活動を振り返り、フィードバックし、検証のできる人たち、つまり、地元の学校の生徒、博物館を利用するサークル、研究者、友の会々員など、普段は入館の際にお金を払わない人たちであるが、もっとそれらの人々のニーズに心を砕くべきである。
博物館がこの21世紀に生き残るには、友の会や利用者のニーズ、関心がどこにあるのかを常に気を配らなければ、まさに博物館自身が博物館行きとなってしまうであろう。
「まずは友の会やボランティアがなくても館としての自立出来るしっかりした運営を優先させ、その後、それらを組織するかどうかを検討するのが筋であって、同時進行に行われるべきではない。(中略)美術館におけるボランティア制度には、支えてもらって助かることよりも、制度を維持する大変さのほうがどうも多すぎると思う。」(三ッ山一志「協力しあう−友の会・ボランティア活動」『美術館・博物館は「いま」』1994年 日外アソシエーツ p.243−253)
大きな予算や人員もたくさんある博物館の研究者としての学芸員には、博物館が、館職員、利用者、管理者(行政)の三者で成り立っているのが見えないのであろうか。
「地域に生活する人びとを利用者として固定し、一方的に科学知識を普及し啓蒙対象とすることに対して別の視点を持ちます。地域の課題は、地域に生活する市民自身が主体となって発見し、取り組んでいくことであり、地域博物館の役割は、こうした市民自治の原則を博物館の領域において育成し、また支えていくという点です。」(伊藤寿朗『市民のなかの博物館』1993年 吉川弘文館 p.14−15)
博物館は、自ら学ぼうとする利用者の役に立っているかを常に検証しながら活動を続けたいものである。博物館は、教え育む所ではなく、共に学び、共に考え、共に楽しむ所である。
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| 地域と結びつき、地域が人をそだてる |
「博物館があつめるのは、ものだけではありません。ものにまつわる、あるいはものに直接関係のないさまざまな情報こそは、博物館のもっとも重要な収集の対象であります。その意味では、博物館は、「物」と言う字は誤解をまねきやすいので、むしろ博情報館、あるいはちぢめて博情館といったほうがいいのではないかという意見もあるくらいであります。」(梅棹忠夫『メディアとしての博物館』1987年 平凡社 p.17)
2000年11月29日には高度情報通信ネットワーク社会形成基本法(IT基本法)が成立し、12月1日からは双方向のデータのやりとりが可能なBSデジタル放送が開始された。
21世紀はIT革命の時代だと、情報通信技術の何かも知らなかった首相のお声掛かりで、「日本新生プラン」の目玉商品として、全国550万人のパソコン初心者を対象に膨大な予算をかけて講習会を開くという。
今年度の県外研修のレジメもインターネットからのデータでまとめられていたように、インターネットの検索エンジンで「博物館」を検索すれば瞬時に数千件のデータが表示され、amazonで「博物館」を図書検索すれば2千件近い関係図書が表示される。世界の情報を瞬時に手に入れられるかの如くである。
たしかに、欲しい情報を調べる手間は、格段に早く、容易になった。今までのように図書館に行くか、インフォメーション施設等に問い合わせなくてもすむようになった。インターネットを開けば、すべてはITが解決してくれそうな気にさせてくれる。しかし、その膨大なデータから適切、最適な情報を選択するのは機械・ツールではなく、人間であることを忘れてはならない。本当に欲しい情報や本音は依然として孤高し、沈黙もするひとの中にあるような気がするのだが。
博物館は、人とものがふれあい、人とひとが交流・協力し合う施設でありたい。
施設や箱ものにはキャパシティ、限度があるが、人のつながり・ネットワークには限界がなく無尽蔵である。その交流や協力をつなぐのがまさにインタープリターとしての学芸員ではないだろうか。
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| 地域社会と友の会の今後 |
全国総合開発計画「21世紀の国土のグランドデザイン」(平成10年3月策定)の基本的課題には、@自立の促進と誇りの持てる地域の創造が掲げられ、計画実現には地域が主体となって「参加と連携」方式で行う、とされ、参加とは、地域住民、ボランティア、民間企業などの多様な主体が参加する地域づくりであり、連携とは、都道府県や市町村の行政単位、さらに官民という枠を超えた地域間の連携であると定義されている。
また、千葉県長期ビジョン―みんなでひらく2025年のちば―(平成11年3月策定)の基本目標にも、A個性ある文化に彩られた地域が世界の中で交流連携する千葉県、D一人ひとりが意欲と責任を持ち社会に参画する千葉県、と掲げられている。21世紀の地域社会のキーワードはどうやら参画と提携らしい。
平成2年6月1日に約60名で設立された友の会は、10年が経ち、新たな展開を求められている。
仲間だけの内向きなサークル活動から来館者や友の会全体が参加できる外に向かった働きかけもサークルにやって欲しいし、会員個々の個別の要望にも答えられる、きめの細かい自発的な活動もしてゆきたい。
日本には新井重三先生が紹介されたと思うエコミュージアムの考え方が21世紀の博物館活動の指針の一つになるかもしれない。
「エコミュージアムは、行政と地域住民とが協力して企画し、設置して行くものである。エコミュージアムとは、地域住民にとっては自分自身の姿を映す鏡であり、また自らの姿を訪問者に見せていくものである。エコミュージアムは時間の博物館であり空間の博物館である。また、保存センターであり研究所であり、学校である。
なお、エコミュージアムには記憶の収集ということが何よりも重要な柱となることを付け加えておきたいと思います。」(アラン・ジュベール「フランスのエコミュージアム」p.1−2『ミュージアム・データ』No.18 1992年 丹青総合研究所)
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